次男坊:それでは早速だけど親父が幼い頃に見たクリーニング屋の様子や 雰囲気なんかをいろいろ教えてもらいたいんだけど、そもそも親父はどういう環境で育ったか、その辺から…。
親父 :幼い頃から母子家庭で育った。母親がクリーニング屋で 昔は洗濯屋とか洗い張り屋なんて言ってた。覚えてるのは夜遅くまで母親がせっせとアイロンがけをする後ろ姿かな。暑いときも、寒いときもそうやって母親の後ろ姿を見て育った。
次男坊:その当時はどんな品物が出てたか覚えてる?
親父 :背広やズボン、ワイシャツがほとんど。昔はドライクリーニング(※1)なんて普及してないから背広も漬け込み洗いをしていた。あとその当時は立体包装なんてないからすべてたたんで納めてた。
次男坊:背広も?
親父 :背広もそうだな。紙テープで止めて持っていった。
次男坊:持っていったって集配なんかも存在してたの?
親父 :昔は母親が自転車の後ろにかごをつけて配達していた。冬はそりだぞ。
次男坊:そり!?
親父 :そんな時代もあった。あと思い出深いのは母親が配達の帰りにピーナッツチョコを買ってきてくれたのがすごく嬉しかったなぁ。
次男坊:じゃあクリーニング屋になったきっかけは?
親父 :やっぱり一人で水仕事をしてる母親を見て育って意識的にこれからは母親を手伝うという想いがあった。早く母親を楽にしてあげたいと。だから特にクリーニング屋にあこがれはなかったな。
次男坊:タカハシクリーニングを継ぐ前に国家資格であるクリーニング師を取るために栃木の足利へ修行に行ったと聞いたけど、そのときに見てきた職人の印象や体験談など…。
親父 :今は分からないが、昔の職人には“厳しさ”と“知恵”があった。職人の技を見てると魔法にかかったような感じで考えもしないような技を見て、ただただ驚きや感動でいっぱいだった。
技術は今みたいに親切に教えてはくれないから(“見て覚えろ、技術は盗め”という世界だから)自分でも勉強しながら職人の技を見ていろいろそこで感じてきた。たまに俺の師匠だった人が俺の為にワイシャツを仕上げて見せてくれたりした。厳しい中でもそうやってときどきやさしい手ほどきがあった。
そして職人の技術というのは常に変化しているもの。技術を受け継ぎながらもそこから“自分流”を見つけていく創造力を持っている。
次男坊:師匠から教わった事で印象的だったことは?
親父 :クリーニング試験の問題で5種類の洗剤を見分ける問題があって“最終的に分からないなら舐めてみろ”と。(笑)絶対マネしちゃだめだし、今はそんなことはできないけど昔はそうやって五感で覚える感覚が当たり前だった。あくまで俺の場合ね。
次男坊:ちなみに師匠はどんな人だったの?
親父 :短気(笑)。だけど釣りが好き(笑)
次男坊:師匠との思い出とかある?
親父 :大きい仕事が終わると、寿司をご馳走になった。
次男坊:仕事のアドバイスもあった?
親父 :仕事が終わると、仕事の話は一切なかったな。
次男坊:昭和が終わり平成になり、バブル期。クリーニング業自体も総需要が過去最高になるけど、そこから現在まで下がり続けている。バブル期はクリーニング業にとってどんな時代だった?
親父 :とにかく新しい技術が出てきた時代だった。機械の開発も急激に進んだと思う。ちなみにうちは立体包装が会津で一番早く導入したとメーカーさんに言われた。もともと修行していた足利では都会で機械が何でも揃ってた環境にいたこともあって、会津に帰ってくると、そういうことに敏感だった。
次男坊:でもそこからバブルもはじけ、クリーニング業も徐々に低迷…。
親父 :昔の洗濯屋は家業で継ぐものだったけど、今の時代はクリーニング屋を苦労してまで継がせるという流れがなくなった。他の商売もそうだと思う。やっぱり当時は就職がいっぱいあったから余計跡継ぎはいなくなる。もちろんクリーニング屋を通して いろいろな人と出会えて、商売のおもしろさを発見できたから もちろん時代もあると思うけど、結果自分は継いでよかったと思う。
次男坊:衣類も時代と共に変化、多様化している中でクリーニング業として変わった点は?
親父 :アパレルメーカーのデザイン優先で職人の対応もさまざまに変化した。つまりお客様からの提案が増えたことかな。
次男坊:タカハシクリーニングが手仕上げ専門なのもそういったことと関係ある?
親父 :そうだね。手仕上げを続けてこれたのは衣類を通して、お客様とのコミュニケーションがとれてたから。手仕上げはそれが強みだね。
次男坊:それはやっぱり職人時代の影響が強い?
親父 :職人の技って技術もそうだけどコミュニケーションも技の一つ。
次男坊:ところでこれを見ている人にクリーニング店選びのアドバイスを。
親父 :一度その店で試してみるしかない(笑)
次男坊:じゃあそこで仕上がった衣類のチェックポイントは?
親父
:仕上げのメリハリ。例えば衣類にもソフトに見せる部分やここはハリを出す…というように衣類の特徴を踏まえてくれるかどうか。あとはたたみの技術があること。今は機械仕上げが主流でたためる人が少なくなっている。たたみがきれいであることはとても重要だ。立体包装にしてもやっぱり昔は体裁があった。 今の立体包装はいかに手間を省くかだから、ある意味合理的になってきている。それはそれでいいと思うがお客様の好みや要望に対応するとなるとたたみの技術が必要になる場合もある。
次男坊:では家庭でアイロンがけをするにあたってのポイントは?
親父 :簡単に言うと、無駄な所はなるだけアイロンを掛けなくていい。何度も同じところをアイロンがけしない。そのくらいかな。でもまずはアイロンがけのポイントよりいかにキレイに干すかにかかってくる。
次男坊:つまりアイロンがけがしやすくなるように干し方を工夫する。逆に言えばきれいに干し方ができればアイロンがけが断然楽になる。最後になるけど、クリーニング業界の将来について何か伝えたいことは?
親父 :とにかくファッション文化を絶やさない為にも自分だけでなく社会貢献に向けて業界全体で力を合わせて頑張ることが必要じゃないかな。
次男坊:いやー、今日はありがとう。ところで親父語録の一つに『人間以外は洗います』ってのがあるけど…。
親父 :まぁお客様とのコミュニケーションをするのに度が過ぎない程度にブラックジョークも時にはあってもいいよね(笑)
(※1)水を使わず、有機溶剤(分かりやすく言うと油)を使って洗う洗濯方法。油汚れをよく落とし、衣類の伸縮少なく、しわがつきにくい特徴を持っている。
取材を終えて
今回の取材ではクリーニング業の昔を少し垣間見れた。その時代を過ごしてきた社長の話からクリーニング師としてのあり方を学んだ。環境や時代の変化もあるが、そこでは変わらず常にアイロンを持って衣類と向き合う社長の姿がある。
当然ながら、クリーニング師でいられるのはいつもどんな時でも支えてくれた“お客様”や自分を取りまく人々のおかげであるのも改めて実感した。また職人についてもいろいろな話が聞けた。きっと職人とは技術以上に何かそこに特別な『人間味』を持った人の事を言うのかもしれない。そして大事なのは物事に真摯に向き合う姿勢を常に持っているかどうかだと思う。“職人だけでは食っていけない”と人とのつながりを大事にしながらも職人に必要なのは技術だけでなく経営的なものがより重要であることも語ってくれた。(←このことについては編集の都合で書いてない。)
今はクリーニング業自体も厳しい時代で転換の時期を迎えてるのかもしれない。どんどん高齢化していき、このままでは衰退していくだろう。とにかくこれからは地道にクリーニング屋としてやるべきことをやっていく一方でタカハシクリーニングの持つ“人間味”をお客様に表現し、感じていただけるよう努力していくことが発展につながる一つのカギだ。ここには全て書ききれなかったが、社長と話してこれからのヒントをたくさんもらって、課題も少し見えてきた。あとは若い中心の我々の感覚でタカハシクリーニングを盛り上げていくだけ。楽しみだ。それでは今回の取材に協力してくれた社長、そして名カメラマンに感謝したい。